【海軍省 練習兵用 歴史教科書】24.封建制度の確立と文教の発達

4 years ago
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7.尊皇思想の發達

(1)封建制度の確立と文教の發達

幕府政治の再興

徳川家康は織田・豊臣の二氏の後を承けて国内統一の事業を完成し、慶長8年(皇紀2263)、征夷大将軍に任ぜられて江戸に幕府を開き、幕府政治を再興した。

而して江戸幕府の政治の形態は、諸大名を各地に分邦(ぶんぽう)し、大名はそれぞれの領地を世襲(せしう)してその統治に當(あた)った。

このやうな制度を封建制度という。

封建制度の確立

我が國の封建制度は鎌倉幕府が守護(しゅご)・地頭(ぢとう)を地方に置いたことに端を発し、やがて これらは地方にあって次第に勢力を貯へ、室町時代には守護で領國を數ヵ国も有するものが現れた。

これを大名(だいみゃう)と言ふ。

かくてその末期には有力な大名は諸地方に割據(かっきょ)したが、織田・豊臣の二氏が海内を一統するや、これら諸将を各地に分封して封建制度の形態が漸く成立し、家康はこれを承け継いで諸侯を各地に配置し、これによって封建制度は確立し、江戸時代二百六十五年に亙る泰平の基が開かれた。

國體観念の堅持

而して江戸時代の封建制度はもとより幕府中心の武家政治の組織であったが、徳川氏は常に朝廷を奉戴(ほうたい)して諸大名を統御(とうぎょ)し、その政務の運航に當り、大事に際しては必ず勅許を奏請(そうせい)することを常とした。

諸大名もまた如何なる時でも皇室の尊厳を忘れることなく、我が国が上(かみ)に皇室を戴く統一国家であるとの観念は極めて強固であった。

国家的自覚の昂揚

また江戸時代には戦国末期以来のヨーロッパ人の渡来によって、西洋に數多(あまた)の強大な国家があることを知り、また東亞に於いても明の滅後清が興って隆盛を極めつつあったため、我が国民の間には国家意識が高まりつつあった。

さればやがて幕末に至り、内外の危機に直面して幕府政治が破綻(はたん)を来たした時、我が國體に對する自覚の昂揚(かうやう)は遂に輝かしい明治維新の革新を遂行することとなったのである。

文教の発達

而してこの国民の自覚を促進して力があったものはこの時代に於ける文教の著しい発達であった。江戸時代は稀有の太平と幕府の奨励とによって、文教の発達は實に目覚ましいものがあり、その範囲は廣く上下一般に及んで、ここに我が国本然(ほんねん)の姿が顧みられ、我が國體に對する自覚が国民の間に高められていった。

江戸時代の尊皇思想はこのやうにして著しい発達を遂げていったのである。

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