赦免を得る為に尊長の潜伏先を北条泰時に密告した和田朝盛

3 months ago
27

西暦1,227年7月21日
早朝、伯耆房が肥後房の屋敷に赴き、尊長との酒宴を張る。伯耆房は、門を出る時に乱入する様、以下等と取り決めをしていた。
①六波羅探題被官
②北条時氏の近習
③菅周則
④小笠原長経
六波羅探題被官・北条の近習・菅・小笠原達は、避暑の名目で、甲冑を持って馬車4輌で神泉苑(現在の京都府京都市中京区門前町)へ向かった。伯耆房は「六波羅の武士が大勢集まっている様です。様子を見て帰って来ましょう」と言って、門を出て神泉苑の軍勢へ向かって合図を送って逃げ去ると、六波羅探題被官・北条の近習・菅・小笠原達は、肥後房の屋敷を襲撃した。尊長は剣で応戦し、勇士2名を負傷させた上で、尊長は、六波羅で見掛けた人物が居る事に気付き、誰か尋ねた。六波羅探題被官・北条の近習・菅・小笠原達は、北条時氏・北条時盛であると回答した。尊長は自殺を図った。しかし即死せず、尊長は「早く首を取れ。然もなくば、伊賀の方が北条義時に与えた薬を飲ませて早く殺せ」という主旨の発言をし、周囲の者は驚いた。尊長は、馬車で鴨川の西の菅の屋敷に送られた。菅と小笠原は、其々自分の手下の者が先に入ったと主張し、手柄を争っていた。其処で六波羅探題の使者が、尊長に尋問した。尊長は「只今死のうとしているのに、どうして人の味方をして虚言を言おうか。奇妙な事だ」と答えた。続けて六波羅探題の使者は「年来京都に親しくしている者が居ると和田朝盛が言っていたが、本当か」と尋ねた。尊長は「京都に其の様な者が居ても無益だ。そんな奴は居ない」と回答した。尊長は氷を所望した。無いと断られると、尊長は「六波羅探題の者がどうして氷を手に入れられないのか。不甲斐無い奴等め」と辱めた為、六波羅探題の使者達は氷を求め得て与えた。尊長は氷を食べた。尊長は菅に「私の体は必ず円明寺(現在の京都府乙訓郡大山崎町)に埋めてくれ。河原に晒すな」と遺言を残した。

一元化 公式HP
https://uc-4.com/

Loading comments...