未遂に終わった錦織義継の六波羅での北条泰時暗殺

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西暦1,221年7月14日
2時、鎌倉に戦勝報告が届けられる。北条義時は、平定に至る迄の戦闘の経緯の書かれた書簡を読み「思う事は何も無い。私の果報は王の果報に勝っていたのだ。前世での善行が1つ足りなかった為に武士という低い身分に生まれたに過ぎなかったのだ」と語った。そして北条と大江広元は、西暦1,185年の処置を勘案して、後鳥羽上皇の隠岐国への配流を含む朝廷への処罰を決定した。但し、大江親広は、広元の嘆願により赦免された。広元は、後鳥羽上皇を始めとする、処罰を纏めた書簡を作成した。

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