傀儡としてバーミヤーンの支配者に据えられたアリーは命の恩人を裏切った

15 days ago
7

西暦1,203年2月11日
ギヤースッディーン・ムハンマドが譲位し、シハーブッディーン・ムハンマドが、第7代ゴール朝スルターンに即位する。シハーブッディーンはインドからゴール朝に帰還し、貴族達からの指示を得ていた。其の後ムハンマドは、以下を任命した。
①ナースィル・ウッディーン・カバチャ(ムルターン(現在のパキスタンのパンジャーブ州)のムスリム総督)
②ジャラールッディーン・アリー(ゴール(現在のアフガニスタン)及びガルチスターン(現在のアフガニスタンのヘラート州付近)の総督)
其の後アリーは、クヒスタン(現在のイランの南ホラーサーン州)にて、イスラム教シーア派の一分派であるイスマーイール派に対する遠征を指揮した。ムハンマドには実子が居なかったが、数千名のトルコ人奴隷を息子の様に扱い、兵士や行政官としての訓練を施した。そして勤勉で聡明な奴隷達は、ムハンマドの軍や政府内で重要な地位に昇進していった。或る廷臣が、ムハンマドに男子の後継者が居ない事を嘆いた際、ムハンマドは「他の君主には、1人や2人の息子が居るかも知れないが、私は数千名の息子を持っている。彼らは私のトルコ人奴隷であり、私の領土を受け継ぐ者達である。そして私の後も、彼らは此の地で私の名を金曜礼拝のクトバで讃える事になるだろう」という主旨の発言をした。

一元化 公式HP
https://uc-4.com/

Loading comments...