両親を失った 白拍子「微妙」は明菴栄西の禅房で出家した

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西暦1,202年4月2日
源頼家が大倉御所で蹴鞠を行う。その後比企能員の館へ向かった。源は、思う所が有って比企の館から足が遠のいていたが「庭木の花が見頃なので」と以前から誘われていた為断り切れなかった。何か有ると思っていた源であったが、やはり「微妙」という名の白拍子と引き合わされた。歌も舞も堪能であったが、何か訳が有りそうで、比企が「私に直接聞け」と言うので尋ねたが、なかなか答えてくれない。何度か聞いてやっと比企が身の上話を始めた。父為成が讒言の為右獄(現在の京都府京都市中京区西ノ京西円町)に投獄され、その後奥州に追放され、その後母親も死去し、一人で生きていく為に七歳から身に付けた芸であり、今奥州へ向かう途上であった。微妙は比企の目に留まり、自分の饗応に召し出されたのだと源は考えた。奥州には使者を遣わして父親の事を調べるように命じ、微妙は鎌倉に留まる事となった。その後は夜もすがら酒を飲み、明朝、鶏の鳴く頃に源は帰宅した。

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