■エンテベ空港・人質救出作戦(1976年)

1 year ago
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これは1976年、ウガンタのエンテベ国際空港で行われたイスラエル特殊部隊による人質救出作戦のドキュメンタリー。当時、アラファト議長が率いるパレスチナ解放戦線は航空機のハイジャックという手段によって目的を達成すべく、世界中で航空機の乗っ取り事件(10年で50機以上)を起こしていた。1976年6月27日、テルアビブ発、パリ行きのエール・フランス、139便も中継地のアテネから離陸後、そこで乗り込んできた四人のパレスチナ解放人民戦線のテロリストに乗っ取られ、当時、アラファト支持だったリビアのカダフィに助けられ、ベンガジ空港で給油の後、ウガンダのエンテベ空港へと向かった。ウガンダの独裁者、イディ・アミンは笑顔で人質を出迎えたが、実際にはテロリストの側に立ち、自らの軍隊でパレスチナ・テロリストをかくまった。ハイジャック犯は二人のパレスチナ人と二人のドイツ人(ドイツ赤軍:つまり共産主義過激派)、加えて空港でさらに二人が加わった計六人。しかし空港はアミンのウガンダ軍によって厳重に警護され、イスラエルからも遠く離れたアフリカ大陸の中央で、人質救出は「絶望的!」と思われた。

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