安達景盛の側室を拉致した源頼家

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西暦1,199年9月11日
安達景盛が源頼家に恨みを持っているという噂が流れる。また、頼家に讒言する者が居た。頼家は以下5名に対し、景盛征伐を命じた。
①小笠原長経
②和田朝盛
③比企三郎
④中野能成
⑤細野四郎
夜、小笠原率いる軍が、甘縄にある安達盛長の自宅に押し寄せた。それを知った北条政子は盛長の自宅に入り、二階堂行光を遣わせ、源に以下の主旨の内容を伝えさせた。
源頼朝が亡くなってから月日も経っていません。三幡も亡くなり、悲嘆は1つに留まらないのに、今戦闘を好まれる様子が見えるのは、正に乱世の元です。中でも、景盛は頼朝を信頼していたので、頼朝も景盛を気に入っておられた。景盛に罪科が有ると思われるなら、私が直ぐに尋問し、成敗も致しましょう。事実も確かめもせず、誅戮を加えられたならば、きっと後悔される事になるでしょう。それでも尚景盛を追罰しようと思われるならば、私が先ずその矢に当たりましょう。
これを受け頼家は、景盛征伐を撤回した。この日北条は、その儘盛長の自宅に宿泊した。この一連の出来事を受けて大江広元は「こういった例が無い訳では無い。白河上皇は、源仲宗の妻祇園女御を御所に連れ出して寵愛し、仲宗を隠岐国へ流しました」という主旨の発言をした。

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